龍田比古の奥山日記

愛する人を追い、斑鳩、三郷、平群、生駒、安堵…龍田川流域など大和を歩いている。気持ちのいい石室によこたわるかとおもえば、万葉のイリュージョンに垣間見たり、十一面観世音が暗号を呟く。…生駒郡という現代の地名を旧平群郡と読み替えると、いろいろなことが見えてきました。

平群の考古学の先生が面白い

奈良県生駒郡平群町教育委員会に初めて伺いました。というのもホームページで「平群町史」を売り出し中なのだ。市町村の歴史書を購入するのは始めて。職場関係者に平群在住者が何人もいて、ある方から「へぐりの里の歴史」<上><中>を頂いたことがある。独特の文体で素人の私には難しい本だった。でも系図や地図もあり貴重な資料として紐解くことがある。「平群町史」ならなおさら面白いかもしれない。
一昨日電話をして「平群町史」の予約をした。電話口の声は美しくとても好感を持てる抑揚だった。今朝お訪ねするとお声の響と似て美しいまなざしの女性であった(が、不幸にもマスクで顔のほとんどが覆われていた、今日は強烈な花粉に黄砂にPM2.5)。

生駒谷にある我が家と平群竜田川でつながっている。もし船が使えるならかなり速くいける距離だ。東山辺りで山が迫り狭くなっている所から南(下流)を平群谷という。川を下るなら右の山脈が生駒信貴〜葛城金剛山系、左の低い穏やかな山は矢田丘陵。竜田川はこの先、生駒郡斑鳩町で大和川と合流する。

平群町教委は中央公民館にあり、駐車場を共有する図書館と隣接している。図書館は休館日だった。

中央公民館の前には石灯籠が並ぶ大きな忠魂碑があった、なにかあまりみたことのない風景に見える。


公民館に入ると大きな地図のパネルがあった。平群史蹟を守る会の力作である。

一昨日の電話の方に郷土の歴史を平群と生駒を一体として捉えて学びたいというような事を話したように思う。それで町教委主幹さんに紹介していただいたのだろうか、今朝「この方が古墳について一番よく知る者です。」と。 え?先ほどから玄関口に長机に印刷物を積みにらめっこしていた男性が古墳のエキスパート。何も知らず、その人の前で平群町のチラシをあさっていた。先生の前で鼻くそなど無意識にほじくっていたかもしれない。
先生は本当によく知っておられ、用意しておいた疑問点の100%、言葉にできない心のモヤモヤにまで言語化し、資料を示してお教えくださった。感謝感激の出会いでありました。先生の私への対応の仕方が面白い。まるで私の疑問のすべてを予め知っていたようなのです。その返答のやり方が科学者みたいというか、いったん席を外し資料を手にして戻り、根拠を示しながら端的に説明する。明快で、簡潔、選び抜かれた言葉で。この方の報告会や講演をいつかぜひ聞いてみたい。こちらの頭が耳に入った言葉の意味を受け入れる時間は待ってくださる。

おまけに私が先日、奈良民博を訪れ、ご教授いただいた民俗学の先生もよくご存知で、平群に招きご一緒に文化財のお仕事をされているとの事、なんて世間は狭いのだろう。大和の地の神様に導かれるように偉い先生方に引き合わせていただいた。ありがたいことである。
胸の内に勉強は楽しいなぁという気が膨れてくる。

示された古代の地図、平群生駒駅生駒市俵口町辺りまで広がっていた。やっぱり!平群でこれだけ多くの古墳があるのに、生駒には竹林寺にしか見つかっていない。生駒郡平群町となっているが、昔の感覚では平群郡生駒町の方がふさわしい。それに矢田丘陵が「平群山」という表記が見える。平群はこの山頂はもちろん、この山の周囲山麓が広く平群であったのだろう。