龍田比古の奥山日記

愛する人を追い、斑鳩、三郷、平群、生駒、安堵…龍田川流域など大和を歩いている。気持ちのいい石室によこたわるかとおもえば、万葉のイリュージョンに垣間見たり、十一面観世音が暗号を呟く。…生駒郡という現代の地名を旧平群郡と読み替えると、いろいろなことが見えてきました。

雪の宝山寺ふたたび

今年の大雪に始発電車の遅れはなかった。始発のケーブルに乗ったのは何度目だろう。
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このケーブルの沿革を少々。
ケーブル鳥居前駅のある近鉄奈良線生駒駅は大正2年(1913)に大軌(大坂電気軌道)生駒駅として開設、同年すでに生駒隧道を社運をかけて完成していた大軌は上本町・奈良(奈良市高天町の仮駅)間の営業運転をはじめた。
生駒鋼索鉄道は、大正3年に生駒山鋼索電気軽便鉄道(同日付で生駒鋼索鉄道に商号変更)として設立、その後生駒鋼索鉄道の経営は大軌主導で進められ、大正7年8月に鳥居前・宝山寺間を開業、同11年会社合併、昭和元年鳥居前・宝山寺間複線化、同4年宝山寺生駒山上間営業開始、ということで日本最初のケーブルが走り出したのであります。
生駒駅に接続する近鉄生駒線の歴史を眺めてみると、信貴生駒鉄道や信貴山電鉄のケーブル、そして信貴山の大阪側のケーブルと奈良側のケーブルを結ぶ山上の平坦線も登場する面白い話しにつながりますが、それはまたいずれ…

宝山寺はその朝小雨の降りしきる暗く寒い静けさに包まれていました。
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大鳥居を抜け山門をくぐるとお大師さま、本堂、聖天堂とお参り、なぜか親しみを感じる文殊堂をお参りした。
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ここには清らかな積雪の上を斜めに走る動物の足跡しかついていない。もったいないと思いながら僕の足跡をつけてしまった。あれは猫ではなく狸かなぁ。
般若窟の真下から拝んだあと観音堂の後ろの崖に近づくと
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狸とは全然違う大きな足跡、爪が左右に分かれているから猪?マサカ。振り向くがイノシシの気配は無い。姿も見ずに怖がる自分がおかしい。戻る足跡は無い。その足の持ち主は崖を通ったのかもしれない。聖天堂の宝珠や本堂の屋根を眺める所だ。
この上の大師堂ではプラスチックの風情の無い大きなごみバケツをひっくり返し、中身をあさったあとがあった。ここにも足跡があった。雑にごみをポリペールに戻し片寄せ先を急いだ。近くに腹を空かせた動物がいるようだ。
奥の院ではまず湛海さんのお姿を見た。
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この極寒の宝山寺なのに暖かい綿をまとっておられるようで、こちらまで暖かくなってきた。そうこうしているうちに汗が噴出してきた。
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奥の院と大黒産の間にある蝋梅と椿
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こんな人工的な宗教的なただ中で
すがすがしい自然を感じることができたありがたい朝でありました。