龍田比古の奥山日記

愛する人を追い、斑鳩、三郷、平群、生駒、安堵…龍田川流域など大和を歩いている。気持ちのいい石室によこたわるかとおもえば、万葉のイリュージョンに垣間見たり、十一面観世音が暗号を呟く。…生駒郡という現代の地名を旧平群郡と読み替えると、いろいろなことが見えてきました。

来たいと願っていた廣瀬大社に始めて来れた、嬉しい。

廣瀬大社砂かけ祭

こんなすごい祭が存在するなんて考えたこともなかった。
<祭神>
宇加能売命(わかうかのめのみこと)
櫛玉命(くしたまのみこと) <!
穂雷命(ほのいかづちのみこと)
<創建>
崇神天皇九年(前89年)、廣瀬の河合の里長に御信託があり、一夜で沼地が陸地に変化し、橘が数多く生えたことが天皇に伝わり、この地に社殿を建て祀られるようになる。〜当社縁起より〜
日本書紀天武天皇四年四月十日(675年)に、小錦中間人連大蓋を遣わし、大山中曽根連韓犬を斎主として大忌神を廣瀬の河曲に祀られたことが記されていて、これが毎年四月四日と七月四日に行われた大忌み祭の始まりと伝えられる。

−末社(境外)−
饒速日命社(にぎはやひのみこと)>
祭神:櫛玉饒速日命
物部氏の祖神であり、社家樋口氏はその末裔です。白鳳年中鎮座。
(以上、公式ホームページより)

※櫛玉饒速日命が祭神とあるがその経緯を知りたいものである。
※ネット上で祭神は、元は長髄彦であった、という文節を見たことがある。見失ったが、あ、見つけました。wikipediaに「ただし、本来の祭神は長髄彦であるとする説もある。」ただしその根拠は明示的には示されていないので、なんともいえないが、とても興味深い指摘だ。もし長髄彦が生駒の白庭を本拠地としていて、河合町川合に祭られるとしたら、やはり大和の全体、もしくは国中を支配していた可能性がある。長髄彦の義兄弟である饒速日が現に祀られているので、その可能性も大きいかもしれない。wikiの筆者はこの部分の説明をしていただきたい。
ここに饒速日命の本拠地があり、饒速日命が神武東征軍の側につき、原住民の長である長髄彦を殺したので、その霊を恐れ祀り鎮めていた可能性もある。
※本殿のほかに重ねてあるなら、饒速日命社にぜひお参りしたく場所を探そうにも写真のような騒ぎ、探せない。地元河合町の観光ボランティアガイドの正装の方に尋ねたがご存知無い事だったらしく困ってしまわれ不愉快そうに睨まれたのには驚き。ガイドボランティアはすべての事を知る必要も無いし、物好きな質問にすべて格好良く答える義務はないと思いますよ。居心地好く歓迎する事こそ、観光地の一番大事なことだと教わりました。

〒636−0051
奈良県北葛城郡河合町川合99
(電話)0745−56−2065

砂かけ祭
平成25年2月11日(月) 
殿上の儀 : 拝殿にて午前11時から
御諏訪太鼓特別奉納  : 午後1時頃から
庭上の儀 : 拝殿前広場にて午後2時から(←この一部が砂かけ祭)

牛を使役して田植えが行われる。
五穀豊穣を祈り、必要な量だけ(少なすぎず、多すぎず)雨に恵まれますように

神職の祭りが終わると、地元の消防団が砂かけ祭りの中心となって行われる。
拝殿前に設置された縄張りの中を田んぼとしてお田植え行事が進行する。
まずは牛と牛を使役する田人の役に分かれ、牛の面を被った黒衣装の牛が耕運器を曳く。白の覆面姿の田人は耕運器を押しながら耕すために一周巡る。巡り終わると耕運器や牛の面を外し、鍬で周りの村人に砂をかけ始める。悲鳴や奇声を上げながら村人とのかけ合いが太鼓の合図が始まるまで続く。砂を多く掛け合いすればするほど豊穣が約束される。なかなか原始的な日本人の故郷を感じるいい祭りである。

雨に見立てた砂を掛け合う。雨に恵まれた喜びを古代人のように「予祝」するのだろう
遠めに見物しているといつの間にか、余所者の見物人である私のすぐ背後に田人が出現し、砂かけが始まり巻き込まれた。
ここには行事の場所が限定されているはずという常識が通用しない。余所者も地元民も差別なく巻き込まれる。カメラをかばい目鼻や口を塞ぎ、逃げ惑う内に汗をかき体内の気を発散し、周りに満ち溢れるエネルギーを取り込んでいる。
この日までの一週間不調で酒も飲めない状態が続いていたが、この大騒ぎの渦中にいつの間にか巻き込まれ、自身の涸れていた気が満たされ浄化され、穢れ(気涸れ)た心身を祓っていただいた。この体験はショックを伴うすごいものであった。
あまりに激しいので驚いた。
拝殿前に臨時の舞台が設置されそこに避難するとコンパクトカメラの不調に気づいた。自動で電源切断機能が働き、レンズが収納されはじめるところで中断したまま電源が切れていた。困ったことに電源が入らない。砂を被るという想定外の環境にカメラのプログラムが適応できなかったと見える。しばらくiPhoneで撮ったりツイッターに投稿したりしていると、カメラ修復のアイデアが浮かび、なんとか動くようになりました。レンズの胴を綺麗にふき取り、電池を入れなおしてリセットさせたのです。
来年の砂かけ祭りには防水、耐震、雪もちらほらだったので耐寒のコンパクトカメラを準備しようと思いました
服装も潜水ダイバーのようなものを用意している人がいた。

ぼくの撮影のためにくわえてくれておおきに、でも、おかしい(ごめん)

この原始的な祭りが見も心も解放してくれた。
先週後半不調に陥り酒も飲めず、医者にいただいた薬を飲んでもなかなか快復しなかったのに。すっかり軽くなりました。
自身の涸れていた気が満たされ浄化され、穢れ(気涸れ)た心身を祓っていただいた。この体験はショックを伴うすごいものであった。
自分は一粒も砂を投げなかったのに、ポケットや体の中まで砂だらけになり、やまいが癒されました。