龍田比古の奥山日記

愛する人を追い、斑鳩、三郷、平群、生駒、安堵…龍田川流域など大和を歩いている。気持ちのいい石室によこたわるかとおもえば、万葉のイリュージョンに垣間見たり、十一面観世音が暗号を呟く。…生駒郡という現代の地名を旧平群郡と読み替えると、いろいろなことが見えてきました。

信貴山 空鉢護法堂

信貴山朝護孫子寺はおもしろい。
鉢にこだわりがある。

国宝信貴山縁起絵巻全三巻が有名だが、その絵巻の一部を霊宝館で見ることができる(原本は奈良国立博物館に寄託、里帰り公開もある)縁起といえば社寺の創建にまつわる物語が相場であるが、この縁起に聖徳太子が出てこずに中興の祖命蓮の霊験譚となっている。
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第1巻 飛倉の巻>命蓮が神通力を行使して、山崎の長者のもとに托鉢に使用する鉢を飛ばし、その鉢に校倉造りの倉が乗って、倉ごと信貴山にいる命蓮の所まで飛んできたという奇跡譚である。空を飛んでいく倉、驚いて見上げる人々などが絵巻特有の横長の画面を駆使して描かれる。
これに由来して祀られたのがこの空鉢護法堂

ファンタスティックな物語が現実に見えるようにしてあり、夢であふれた境内はテーマーパークを連想させる。

霊宝館の重文に金銅鉢もある。

空鉢堂へのは入り口は多宝塔の上(西)、行者堂の手前にあり、九十九折れした山道の石段がはじまり、その石段には千本鳥居の始まりが見える。
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ちょっと見えにくいが最初の折れ曲がりが小さな展望台となっていて普段なら景色がよい。この日は大気汚染が北大和を覆っていたのと、早朝の山の水蒸気で遠くは望めなかった。写真には自由に使える杖の案内が写っている。ぼくは自分の2本杖がある。
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黒い雲が行ったので振り返ると、やはりガスっているが、その道だけでも美しいと感じられて来て好かった。
鳥居ついでに少し困った事態になったことを告白すれば、登りはお辞儀しながら登るから何の問題もなく風情があるなどと喜んでいた鳥居、帰途の降りとなると巌と立ちはだかる。まるで両腕を広げるいじめっ子のように。つまり背が低い。お辞儀しても頭にあたる鳥居があるのだ。怖くて怖くて、恐ろしい所と化した。これは自分の何かに対する神の気持ちか。そう思い始めるとよけい怖くなった。腰も痛くなったし、昇りよりも息が切れるのだ。
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ようやく山頂、空鉢堂到着。拝殿前が狭く小さいが長谷寺のような舞台になっていて、山々の間に堂塔などの風景が見える仕掛けがあるのだろう。今日はガスで望めないが、パンフレットには「一服の清涼剤」と謳っている。持参の清涼飲料を飲んだ。
鉢にこだわりといったが、この山道と頂上に巨大なオオスズメバチや大小の蜂が縄張りを作っている。通過するときたびたび接近しては出て行けと警告するのでご注意。黒色の衣服を避け、脅かさなければいいのでしょう、ぼくは一度も刺されなかった。ただ、あまり強く警告する祠にお賽銭を入れるのはあきらめました。開山が堂塔を開く前はこのような中で修行し食し寝たのだからすごい。
空鉢堂の本尊は龍王のミーサン。賽銭箱の向こうの台にシンボルが三尊のように置かれている。これらは本尊ではなく、本尊は正面の本堂の中に安置されているはずだ。
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鳥居の向こうが本殿かと思って除いたら、この建物は拝殿のような感じであった。こちらが拝殿なら背後の建物は待合所か(ベンチが設置してあった。登山の避難所にもなりそう)。
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横から覗くと本殿は石造祠で拝殿とビニールの屋根でつながっている。
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本殿は山頂の中の山頂にあり、周りからも拝むようになっている。これなら例えば20人の団体で来ても一緒に拝める。
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拝んでいるような敬虔な虫君に出会った。オオスズメバチニ襲われるなよ。お互い無事に帰ろうな。
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八重比売とはどなた?八重畳といえば「平群」らしいが、その枕詞の生成とこの神様となにかご関係があるのかしら?それとも平群の女神として奉っているのだろうか。
早朝に初めてのところに単独で歩くと、妄想が広がる一方だ。
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これは鉢のような宝珠のような神様であるが、よく観て、右へ動いてない?もうすぐ少しはみ出すよ。奇妙。
そういえば…
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先程の拝殿か待合所か避難所のミーサンも動いているように見える。奇妙。
奇妙が続く、妙連、命蓮、駄洒落でした。
これで、はじめての空鉢堂は終わりです。

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この空鉢堂の手前に参詣道に向けた石碑がありましたので、見に行くとなんとここが信貴山城址だった!じゃここが昔のまま、土塁や石垣、掘割など最高に残っているという山城ではありませんか。
出てきたときはまだ朝ボラケ、陽も高く昇りはじめ腹も減ったので、朝飯に帰ることにする。信貴山城よまた会おう。
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平群町教委の案内板でも確認、空鉢堂は信貴山城址であった。どちらが先か、そりゃ命蓮が先で平安時代、松永久秀が焼いた信貴山城はのちの戦国時代のはず、う~む。
古代高安城飛鳥時代
あまりの暑さ、室温34度を越え始めたの。縮小しがちの脳みそが沸騰し始め、わけがわからんようになってきたので、おしまい。