古事記、神武東征の伝承地を訪ねて
生駒の上町(かみまち)を歩き回りました。
神武聖跡顕彰の碑
ぼちぼち紅葉して美しくなりそう。
石碑の裏にはご覧のように、長髄彦を討伐した戦場であり、その時に金鵄が輝き勝利を導いたことにより、この村を鵄村と称する、というような意味のことが読み取れます。
これは神武東征で長髄彦軍との第一戦で太陽に向かって攻めて負けたという物語があり、第二戦がここであり、殺された兄の仇を討ったこと、その戦いで太陽に向かって戦ったことが敗因であったことが簡単に述べられた。(岩波文庫「古事記」P.80) ではこの上町戦での太陽に位置はどうであったか。
おそらく神武軍にとって陽光が幸いしたことを金鵄の光線と表現したのだろうか
朝日新聞社の高校野球優勝旗も東征の金鵄デザイン?
学研北生駒駅の北にも鵄山があり、金鵄発祥の石碑がある。
この碑は富雄川沿いにある高山郵便局の近くにある。
農家の玄関先と畑を通らせていただきやっと行き着く秘められた場所
さて長髄彦とはどういう人物であったのか。
僕には先住民族であり、覇権主義の天照民族(天つ神)が派遣したニギハヤヒ(邇藝速日命 or 饒速日命)と共存して暮らしていた。そこに大和に都を築くために侵略してきた神武軍に敗れた被征服民族ではなかったかと思うのだが…
鳥見白庭山の石碑
その天孫族の先の大将の邇藝速日命の墓の前に立った。
この小さな盆地に邇藝速日命を葬る墓がある不思議。興味津々。
優しくて優柔不断、結局は義兄を殺す異民族の頭領。
長髄彦との出会いと裏切りのドラマを求めてしまう。
今回生駒市レクリエーション協会の件名のイベントに参加した。
このグループに初めて接したが、歩くことに主眼を置いたイベントであった。
長髄彦が殺されたから、弱者というだけの理由だけで贔屓してはいかん、という意識がある。
でもこの地域の先住民であった。
自分としては、自分は長髄彦軍と東征軍とどちらに自分の位置を求めるのか、どちらの見方(味方)をするのか、すっきりしない課題を残すウォーキングであった。
というよりも、また何か新しい面白い課題をくれたのだろう。