龍田比古の奥山日記

愛する人を追い、斑鳩、三郷、平群、生駒、安堵…龍田川流域など大和を歩いている。気持ちのいい石室によこたわるかとおもえば、万葉のイリュージョンに垣間見たり、十一面観世音が暗号を呟く。…生駒郡という現代の地名を旧平群郡と読み替えると、いろいろなことが見えてきました。

西宮古墳

三郷から平群に向うと龍田の川に桜が映されていました。思わず見とれて立ち止まる。平群の丘陵の続きのような生駒山が見えました。

生駒山が神名備に見える所はやはり往馬大社の東からか。往馬大社の存在の理由かも。本来は山がご神体だったんだろう。
(これは↑往馬大社宮司さんの話の続きです。僕の頭の中では続いていました。>http://d.hatena.ne.jp/n-hiko/20130324/p1)

平群の桜に包まれた生駒山を撮るために渡った橋を戻ろうとしたら中学生が自転車で近づき、通り過ぎました。もう一度桜を眺めたらもう見失なっていました。なんか誘われているような気がして、その後を進み始めたら古墳に突き当たり、駐車場で行き止まりになっていました。立て札に右平群神社、左西宮古墳。
平群中央公園、この公園は何度か来たことがあります。バスで子どもたちを運んだときは西側の大きな駐車場に止めたなぁ。

南側の小さな駐車場のすぐ目の前に古墳がありました。円墳か方墳かよく分かりません。

右の樽には「西宮古墳」と彫ってある。酒樽かなぁ、今は無いが昔は造り酒屋があったのかもしれません。

昭和31年8月7日県指定史跡西宮古墳
この古墳は、廿日山(はつかやま)丘陵の南端に築かれた三段築成の方形墳である。墳丘は一辺約36mの正方形で墳丘高は正面で7.2m以上あり、本来の高さは約8mと思われる。墳丘斜面は約35度の勾配で、墳丘全体と東側周溝底には貼石が施されている。
墳丘の東西と北側は台形状に大きく掘削され周溝をめぐらせている。横穴式石室は南に開口し、玄室は墳丘中央部に位置する。石室は切石を用いた精美なもので、平群町越木塚で産出する石材によって築かれ、石室床面は墳丘二段目のテラス面に合わせている。石室の全長は約14mで玄室の長さ約3.6m、幅・高さが約1.8mである。
石室内部に収められた刳抜式家形石棺は棺蓋が失われ棺身のみであるが兵庫県産の竜山石(たつやまいし)で製作されたものである。石棺の長さは224cm、幅115cm、高さ76cmである。石室前方の墓道より須恵器の杯蓋・高坏片が出土している。七世紀の中頃から後半の築造と考えられ、平群谷を代表する終末期の古墳として重要である。平成11年11月 奈良県教育委員会 (墳丘復元図)


祠が祀ってあった。単なる文化財ではなく死者を祀る神聖な施設なんだ。

棺を見ると最初はぞぉっとし、慣れてくると横たわりたくなる。自分の棺は居心地のよいのがいいな、という感じ。もちろん大切な文化財だから棺の中には入っていません。

大きな一枚岩が玄室の奥、左右、天井を構成している。一番奥は楽に立てるから2mはある。

遺体も遺物も棺以外何も無いからだろう、真新しい未使用の部屋のようにも思える。立派なお墓です。天皇陵の内部とは違うのだろうか、貴重な体験ができました。

石室は静かで涼しく石は端正に切られ、並べられ、組まれ、居心地のよい部屋です。被葬者は葬られたような感じがしません。自分で生前に何年もかけて石材を探し選り抜き、細工して準備したのではないでしょうか。自分で葬るというのは日本語としては誤用かも知れませんが、そんな気がする石室です。