龍田比古の奥山日記

愛する人を追い、斑鳩、三郷、平群、生駒、安堵…龍田川流域など大和を歩いている。気持ちのいい石室によこたわるかとおもえば、万葉のイリュージョンに垣間見たり、十一面観世音が暗号を呟く。…生駒郡という現代の地名を旧平群郡と読み替えると、いろいろなことが見えてきました。

東大寺修二会

東大寺修二会(しゅにえ)お松明
場所は修二会の会場だから二月堂
修二会といえばお水取りの日の籠松明が大きくて見栄えがあり、有名である。お水取りといって連想するイメージは籠松明の炎、火の粉
最終日のお松明はまた独特で、この日だけ夜六時半から始まる。一本ずつ拝見するのではなく続いて昇り(「尻つけ松明」)、一斉に舞台上に居並ぶ、その壮観。今まで写真で上手く撮れたことが無いが、説明のため撮ってみた。手振れがおきても許されよ。

この日、お松明が終わっても二月堂に登り、拝みに行った。

先ほどお松明が紅蓮の炎を上げていた場所、ぶつけ振り回した舞台の欄干に松明の白い灰が降っていた。
お松明とは蓮行衆11名の足元を照らす明かりであり、入堂後、不要になった炎を消す作業に他ならない。その松明の焼け残りに人々の祈りを重ね、人々はまた観音菩薩の慈悲を重ね持ち帰り、家のお守りとするのであった。今日も見たが、人々は争ってより大きい燃えカスを探す。お松明を預かる堂子が燃えカスを狙う同じ町の人々に威勢よく火の子とともに燃えカスを落としてやる。それはどうしても豪壮に松明を振りますことになり、歓声や拍手さえ起きる。そこはもう宗教の領域ではなく舞台と観衆の火の芸である。



お水取りが終わった。来い、こいと願った春が来た。どこかで桜も咲いているという
変化が激しい気候になっている、変化の振幅も大きい。
3月14日仕事を終えて駆けつけた。18時20分に駅に着いたが、この足でお松明に間に合わない。初めて東大寺までタクシーに乗ったが、半分あきらめていた。なんと降ろしてくれた場所は手向山八幡宮の横!間に合うかもしれないと本気で走った。走ったら間に合った。というか、群集の最後尾について横移動して何とか見える三月堂の近くに陣取った。すごい人出だ。12日は春の嵐で観光客は困ったやろうなぁ。Nさんも友人もお気の毒に。ぼくは仕事が運転手だから、嵐の下の運転と、渋滞でハナからあきらめた。14日もあれば何回もいけると思っていたが、一度もいけず14日を迎えてしまった。

世の平和と、自分が罪を犯さないよう観音様に祈った