龍田比古の奥山日記

愛する人を追い、斑鳩、三郷、平群、生駒、安堵…龍田川流域など大和を歩いている。気持ちのいい石室によこたわるかとおもえば、万葉のイリュージョンに垣間見たり、十一面観世音が暗号を呟く。…生駒郡という現代の地名を旧平群郡と読み替えると、いろいろなことが見えてきました。

正倉院展

久しぶりに奈良博に行った。
この博物館は今、正倉院展となら仏像館と青銅器館の三構成になっている。
特別展(正倉院展)と常設展示(なら仏像館と青銅器館)だと思っていた。常設展は変わらないと。

久しぶりといっても、たしか玄奘三蔵の「天竺へ」の旅の特別展に行ったのはこの7月か8月、絵巻物の思わぬ面白さに半日、目を釘付けにされた。その時、なら仏像館(旧館)に入ると素晴らしい観音様の玄関、左は巨大な四天王(東大寺三月堂)が展示されていた。その大きさに度肝を抜かれた。

今回、正倉院展の後で入ると、歓迎の観音様も変わっていたし、左の大きな仏様の展示室は重文降三世明王坐像、反対側の展示室には国宝伝義淵坐像、同室の展示で興福寺の国宝法相六祖像(伝行賀)のはすかいに見据えた上目遣いのリアリティーに脱帽。この活き活きした人間性の謳歌をなんと言えばいいのか。後ろの観客が「この人相悪い坊主」と悪様に言うのが聞こえてきた。どのような反応であれ、感情をかき乱す突っ込んだリアリズムがそこにあった。「常設展」は変わらないと思い込んでいるのが間違いか、常設展ではないのか、かなり速いテンポで展示が変わり、その変わり方がよくて何度も足を向けたくなる、そんな新しい博物館が奈良博なんだと、そう思った。

青銅器館は私が好み心落ち着く故郷のような気分になる展示室だ。文明が発達し、ついに青銅器の文明が起き青銅器の異物が残った。その異様な形象に興味は尽きない。どのような文化であったのだろう、今までの研究の成果を読み始めてみようと思う。
シンボルとしての神があり、楽器としての響きのデザインがある。祭器として生きているような三本足。おどろどろしい模様と形。いつか奈良博の青銅器だけのメモを残したいと思う。

ついでに正倉院展について書くなんてもったいない話しだが、正倉院展は雅な貴族趣味の世界には違いないが、当時の職人の腕前があり、素材を選ぶ目があり、当時の日本人の美意識をコンクリートで固めて保存した貴重なタイムカプセル。大仏開眼会などのイベントがあり、聖武天皇をはじめとする人間の生死があり、光明皇后をはじめとする夫婦の愛と鎮魂の気持ちが見えてきて、今も昔も綺麗はおなじ、人間の気持ちのあり方もあんまり変わらんなぁと思う。

今回の名物の綺麗な緑の献物箱「碧地金銀絵箱」は本当に綺麗だった。照明の効果かポスターのような鮮やかな青緑色ではなく、黒ずんでいたが、人間の目はそれを勝手に補正して、綺麗に見えてくるのが不思議だ。見る前にポスターの色が脳ミソに定着しているのだ。スリコミやな。
この色は「碧色」(へきいろ)と呼ばれ、パステルカラーの元祖のよう。日本人の洗練された色彩感覚の出発点が倉庫(正倉院)に保存された。スゴイね。

飛鳥〜白鳳〜天平という伝統発展、天智〜天武〜持統〜聖武という天皇制国家の成立、中臣鎌足藤原不比等という天皇制を支配する類まれな知恵と政治権力集約と宗教文化政策の確立、そしてもっとも不思議なのが仏教の発展史の中で花咲く世界仏教史上の平城・天平時代、こういう奇跡が偶然この奈良の地で集中し、爆発したのではないだろうか。花火のように。白鳳時代も短かったが、不比等がなくなっての天平〜奈良も短い。その流れが千年の京都につながっていく。(余談ではあるが、ここまで発展した大和の文化の中ではたした蘇我氏の役割についてもっと研究すれば、この一族と時代の評価が変わってくると感じざるを得ないのだ。いわば鎌足・天智がクーデタで分捕った獲物が花咲いたといえる。)

そうそう、中島君が先に展示を見て相模国から貢進の酔胡王(伎楽というステージの中ではピエロ役なんだろうか?)を見た。残念ながら現場で相模国という文字は確認できなかったが、展示に写真解説があり、時間を掛ければ見つけられるような展示方法(面内の照明や鏡を設置)であった。なにしろ正倉院展はすごい人。その中島君のメールを見て、すぐに見たのが昨年の正倉院展の図録、あった、あったとすぐに印象的な酔胡王の面を見つけた。洗練された様式の中にある色彩の残った面だったが奈良で用意され使われた大田倭麿作ではないかと書いてある。宝庫のなかで最高の酔胡王だとされる。一方、今回の酔胡王は色彩が風化し、下塗りの白色がめだつ。こちらの酔胡王は額に動物(猫か?)の面を付けている。猫好きの衆にはこちらの方がいいかも。今年の図録から伎楽について抜書きしておこう。

伎楽は呉楽とも呼ばれ、推古天皇20年(612)に百済人味摩之(ミマシ)が「呉」(中国・江南地方)から学んで日本へもたらしたと伝えられる。七〜八世紀には法会などに際して盛んに行われたようだが、その後次第に衰微し、ついに途絶したため、内容の詳細には不明な点が多い。

音楽や芝居が好きな私には興味が尽きない。また伎楽についてだけ調べて書いてみたい。

今回の目玉はなんといっても聖武天皇愛用のきらびやかな黒い刀、「金銀鈿荘唐大刀」(きんぎんでんそうのからたち)の柄や鞘の美術について書かねばならない。でも略して中身の刀について一言、ため息が出るほど美しい。もし僕が侍だったら、一度は掌中に立て、懐紙を口に挟んで眺めてみたいものだ。一度はど真ん中に構えてみたい。降り下げたら空気を割いてどんな音がするか、振り回してみたい。この前は特別に柵を張り巡らし、入る前に行列、入ってからも行列行列の正倉院展の中で、特別の行列を準備したもの。値打ちのある行列には並ばず、二列ほど後方からじっと眺めることができた。前列は立ち止まらないようにやかましく注意されるのだ。

雨降りなのに土曜日は少なくない。展示期間も短いように思う。図録を眺めるとまだまだしゃべりたい宝物はあるが、今日は映画にも行きたいので、この辺で。