龍田比古の奥山日記

愛する人を追い、斑鳩、三郷、平群、生駒、安堵…龍田川流域など大和を歩いている。気持ちのいい石室によこたわるかとおもえば、万葉のイリュージョンに垣間見たり、十一面観世音が暗号を呟く。…生駒郡という現代の地名を旧平群郡と読み替えると、いろいろなことが見えてきました。

訪れた興福寺は工事中の柵や幕で覆われ、地面は調査のためか掘り返され、シートで覆われていました。

中金堂の復元工事のため景観はだいなし、でもこの活気あふれた景色に、古都奈良の中で興福寺の今の脚光を感じることができた。
かつて高田好胤が活躍した時代の薬師寺がこういう風景を見せていたのだろう。
これやこの阿修羅像の出張公開に100万人が入場したとか、写経という道具で復元資金を集めたアイデアと努力に感動したが、ここではもっと端的な手段で実現しようとしている。興福寺には国宝が山とあるのだ。神仏の力に頼り、堂塔伽藍を復元するのも正当な方法ではないだろうか。

南円堂は日々拝まれ線香で煙っているが、北円堂は初めて。ここでも奈良時代、天平時代のスタイルに懐かしさを感じ、安堵する自分が居ました。でもほとんどそれは鎌倉時代の再建であり、創建であった。仏像も同じく、運慶はじめその一派の力作に目が引き付けられ離れないのだ。

奈良・興福寺北円堂 弥勒仏坐像(国宝) - 建暦2年(1212年)。運慶の指導のもと源慶らが制作。
奈良・興福寺北円堂 無著菩薩・世親菩薩立像(国宝) - 建暦2年(1212年)。運慶の指導のもと五男運賀、六男運助らが制作。(堂内は撮影できないため文章と共にwikipediaより拝借)

奈良を訪れると寄りたいところが興福寺であり、三重塔である。

ここも今回初めて内部を拝観させてもらった。客整理の方に聞くとこれは仏舎利塔(ストゥーパ)ではなく、権威のシンボルとして立てられた建造物だそうな。これも国宝!
この前にいつもお参りし、親しみを感じる石仏がある。