龍田比古の奥山日記

愛する人を追い、斑鳩、三郷、平群、生駒、安堵…龍田川流域など大和を歩いている。気持ちのいい石室によこたわるかとおもえば、万葉のイリュージョンに垣間見たり、十一面観世音が暗号を呟く。…生駒郡という現代の地名を旧平群郡と読み替えると、いろいろなことが見えてきました。

北原由紀子さんの音楽、コンサート

今年7月末、豊中市立豊中病院ロビーにて161回目のピアノ弾き歌い+口笛 コンサートがあり、久しぶりに出向きました。

マイアミ・ビーチ・ルンバなど全12曲、アンコール曲もあり、45分間があっという間に過ぎ去り、夢のようでした。

この日あいにく近鉄の事故があり、30分近く遅れのダイヤにのろのろ運転。
あの痛ましい中国新幹線のような事故にはあいたくありませんが、安全第一の日本では、一度「人身事故」がおきれば一日中安全確認が続き、おかしくなるのでしょうか。危うく今回のコンサートもだめかと思わせるような駅のホームの混乱状態でした。

北原由紀子さんは顔つきもほっそりとされ、ちょっと印象が違い、ほんの少しよりシャープにより思索的に見えました。でも飛び切りの笑顔や優しさは変わりません。

彼女の音楽の説明をしたい自分が居ることを、今観ていますが、その自分は言葉にするのに困っています。言葉を超える音楽が音楽的な音楽だからでしょうか。

夏の日の恋(映画主題歌)、浪路はるかに(ビリー・ボーン演奏曲)、海(文部省唱歌)、月の砂漠…みな知っている曲で、ラジオなどで繰り返し聴き、体に染み込んでいるような選曲なんですね。

それがどのような聴き方になるかと言えば、う〜ん、確かに北原さんのピアノや歌や口笛を聞いているのですが、体の奥のとっくに忘れた記憶の壷から、甘酸っぱいような、蚊帳の外で蚊取り線香を炊きながら縁側で涼んでいる、そういうセピア色の風景と言うか、登場人物になりきっている、つまり、思い出している、その虫の声や生活の音、外からのノイズや夏の匂い…そんな聴き方です。

音楽自体で自己完結していますから、まったく過去の体験の無い方は、現在進行中の演奏を始めて楽しんでいるに違いありません。オリジナルの雰囲気をたたえながら工夫をかんじるアレンジがあります。

ほとんどの客が入院患者かその家族、そして還暦以上の聴衆に見えます。それぞれが自分の中から沸いてくる匂いや夏の風情、淡い昔の思い出、まだ両親や兄弟が揃っていた頃の記憶の断片を見つめ、嗅ぎ、味わっているような内向きの感じなんですね。音が消えると、ふとわれに返り、異化効果! 現実に戻って拍手喝さい。こんなコンサートは他に知りません。

昨年亡くなった母は音楽が好きでした。従妹のクラシックピアノのコンサートに欠かさず行っており、その際、大きな花束を客席の前で、プレゼントするのが好きでした。次姉の処で住んでいた頃、お友達のhimeさんに箏曲を宅配していただきました。運ぶだけでも大変な琴を綺麗な和服でお願いしたあつかましさを思い出しました。母は着物が好きで、大変な喜びようでした。由紀ちゃんhimeさんありがとう。

北原由紀子さんの演奏を実家に宅配して亡くなった母に聴かせてやりたかったなぁ。母の好きな歌だけで構成しても、何も違和感を感じない共通した「日本の歌」とでもいうジャンルです。北原由紀子さんには相談もし、いつかお願いしようと決めていました。でも実現するまえに死なせてしまい、悲しくてしばらく足が向きませんでした。おおきに、ありがとう、母の変わりに母のようなおじいおばあがたくさん聴いています。あの人たちもただ単に聴いているだけでなく、人生を振り返り、幸せな時、場所にワープしているのだろうか。

往馬比古のヒコライブ!応援ブログ
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