龍田比古の奥山日記

愛する人を追い、斑鳩、三郷、平群、生駒、安堵…龍田川流域など大和を歩いている。気持ちのいい石室によこたわるかとおもえば、万葉のイリュージョンに垣間見たり、十一面観世音が暗号を呟く。…生駒郡という現代の地名を旧平群郡と読み替えると、いろいろなことが見えてきました。

左官はなぜ「左官」?

先月、亀岡祭で若手の左官に作品と熱い意欲を見せられた。屋根屋でも大工でもその名称から職業が想像できるが、「左官」という文字では何がなんだか分からない。もちろん「さかん」でも同じ。どうして?と宿題をいただいた。かえってすぐに広辞苑を引いておおよその見当がついた。今までに調べた語義を書き連ねてみる。

左官入門

「左官」の意味、語源

左官の語源 語源由来辞典: http://gogen-allguide.com/sa/sakan.html はコピーができない。
左官は、平安時代に宮殿の建築や宮中を修理する職人を「木工寮の属(さかん)」と言い、壁塗り職人を木工属に任命して出入りを許可していたことから、「さかん」と呼ぶようになった。
属(さかん)は、律令制で各官庁の階級を「かみ」「すけ」「じょう」「さかん」と構成した四等官のひとつである。
漢字の「左官」は当て字で、古くは「沙官」「沙●」(●=習+元)と表記されていた。
「左官」を「しゃかん」と発音するのは「さかん」の訛りであるが、「沙」の自我当てられていたことから、単なる訛りではないとも考えられる。

広辞苑
さ‐かん【左官】‥クワン(宮中の修理に、仮に木工寮の属さかんとして出入りさせたからいう) 壁を塗る職人。かべぬり。壁大工。泥工でいこう。しゃかん。

wikipedia
「左官」の語源は、宮中の営繕を行う職人に、土木部門を司る木工寮の属(さかん、四等官の主典)として出入りを許したことから[要出典]という説もあるが、実際に「左官」として使われだしたのは桃山時代からという説もある[1]。(^ 現代建築職人事典編集委員会「左官」『現代建築職人事典』工業調査会,p131)

左官(さかん)とは、建物の壁や床、土塀などを、こてを使って塗り仕上げる職種のこと。
日本家屋の壁は、竹などを格子状に編んだ小舞下地(こまいしたじ)の両面に、藁(わら)を混ぜた土を塗り重ねる土壁、消石灰・麻等の繊維・糊でつくった漆喰が用いられるが、それらの仕上げに欠かせない職種であり、また、かつては土蔵の外壁やこて絵など、技術を芸術的領域にまで昇華させる入江長八等の職人も現れた。
明治以降に洋風建築が登場すると、ラスや煉瓦そしてコンクリートにモルタルを塗って仕上げるようになり、日本建築以外にも活躍の場が広がる。
昭和30年代〜40年代の高度経済成長期には、鉄筋コンクリート構造(RC構造)の建物が大量に造られ、多くの左官職人が必要とされた。戸建住宅においても、当時の内壁は綿壁や繊維壁の塗り壁仕上げが多かった。またこの頃から浴室のタイル貼りなども行うようになった他、基礎工事、ブロック積み、コンクリート打設(打込み)時の床均しなど仕事内容も多様化していった。
しかし、その後、住宅様式の変化や建設工期の短縮化(左官が使う材料である土・漆喰・モルタルは、一般的に乾燥・硬化に時間が掛かる)の流れから、壁の仕上げには塗装やクロス等が増え、サイディングパネルや石膏ボード等 建材の乾式化が進んだ。また、ビル・マンション工事では、コンクリートにモルタルを厚く塗らない工法に変わった事や、プレキャストコンクリート工法(工場であらかじめコンクリート製品を製作した後、現場へ運搬し設置する工法)の増加 等の要因により、塗り壁や左官工事が急速に減少、職人数も減り続けていた。
最近になり、漆喰・珪藻土・土等の自然素材を使用した壁が見直されると共に、手仕事による仕上げの多様性や味わいを持つ、左官仕上げの良さが再認識されてきている。特に「和モダン」と呼ばれる、日本らしさと欧米のモダンスタイルを併せ持つ建築には、多彩な左官仕上げが使われる事が多い。
左官を大別すると、戸建住宅や寺社工事を専門とするものと、ビルやマンション工事を得意とするものに分けられる。後者の中からは近年、床仕上げ専門職(床下地のモルタル仕上げや床コンクリート直仕上げ等を行う)も現れている。