龍田比古の奥山日記

愛する人を追い、斑鳩、三郷、平群、生駒、安堵…龍田川流域など大和を歩いている。気持ちのいい石室によこたわるかとおもえば、万葉のイリュージョンに垣間見たり、十一面観世音が暗号を呟く。…生駒郡という現代の地名を旧平群郡と読み替えると、いろいろなことが見えてきました。

ドボルザークの新世界/N響(ヘルベルト・ブロムシュテット指揮)

N響(ヘルベルト・ブロムシュテット指揮)がドボルザークの新世界をやっている。大好き、なつかしい、この曲はただの音楽でなく心の奥底とつながっているような気がする。N響アワーは好みの番組。西村さんも好き。

ぼくはモーツアルトのディベルティメントが大好きなのだが、かつてようやく買えたCDがこの指揮者の指揮でシュタツカペレ・ドレスデンが演奏するK.V135. 137, 138
今は84歳白髪一色だがこのCDでは若い指揮者の髪は栗色に輝いている。

新世界どうしてこの曲が格別なのだろう
きっと美しいメロディが次から次へと出てきて、担当楽器がまたはまっていて、涙が出て来そうになるくらい。

綺麗なメロディのいくつかが五音音階ででてきたりするところにもどうも秘密はありそうだ。
この音階には乳幼児期の思い出と分かちがたい何かがある。そうきっとコレだと思うが、それだけでなく民族の幼少期、人類の幼少期の記憶が5つの音に隠されているのではないだろうか。ぼくの胸に隠され、ほとんどの人に隠されている深層の記憶。

中学生になって主体的に音楽を求め聴きまわった。ラジオに耳を傾け、録音テープやLPレコードのライブラリーをつくり、演奏会やレコード鑑賞会を巡回し、音楽家を見れば話を聞き、音楽好きとはレコードを交換し、今も残るSPレコード

その元になったぼくの心はどこから来たのだろう。

新世界を聞きながら畳の部屋が見えてきた。大きなラジオが何かの上に載っている。ガラスの小窓の並ぶ障子の前にあるそのラジオの上に(横かな)プラスティックでできたレコードプレーヤーが載っている。そこから聞こえてくる音楽は?新世界か?

なつかしいなつかしい古い我が家

それ以上のことが思い浮かばない。日常のことでもよく忘れ物があり、人の名前が出てこない時期に入り、昔の記憶のシーンが蘇ったのが不思議でならない。でも、それ以上の風景が見えてこない。

一番知りたいのはその回転盤の上に載ったレコードの正体だ。