龍田比古の奥山日記

愛する人を追い、斑鳩、三郷、平群、生駒、安堵…龍田川流域など大和を歩いている。気持ちのいい石室によこたわるかとおもえば、万葉のイリュージョンに垣間見たり、十一面観世音が暗号を呟く。…生駒郡という現代の地名を旧平群郡と読み替えると、いろいろなことが見えてきました。

夜桜〜市大植物園@私市(大阪府交野市)

満月の夜桜ほどロマンチックなものはない、もし、ライトアップなどしなければ。
満月の夜桜のライトアップは、たとえば、映画をフラッシュ撮影か。
桜の銘木はこの植物園にもある。

この桜は銘木だと思う。だが夜桜イベントでは立ち入り禁止区域となり、ライトアップはフラットなステージを持った場所の枝垂れのみ。

一番の銘木でなくても枝垂れはどれも美しい。それに黄昏空はどうしてこう深い青なんだろう。
桜の白と空の青、だけ、潔さ、日本画の、例えば薬師寺にある三蔵法師の壁画一面に使われているラピスラズリ、あの青が空に見えたような気がした。周りの桜の精がそう見えさせたのかもしれない。
裏山の銘木の前で、来園者の女性がどうしてライトアップなどという可愛そうなことをするのかと嘆いていた。
満月だけで夜桜を楽しみたい、と願っている自分を発見した。

桜の花は妖艶だと言う。
死体や血を連想させたりもする。
桜を愛し、求め続け、死をともにした西行を出すまでもない。
桜の美しさは勿論、妖艶さ不思議さ神々しさなど西行の後ではどんな言葉も残っていない。
その後、この地で歌人は続き、俳人小説家、造園家植物学者、旅行冒険家、ガイドに庭のオーナー
言葉の上に言葉を重ね繰り返す。
それらは日本語を美しく紡ぎ洗練させる。
そのすべてを読んでみたいと思わせるそんな花が他にあるだろうか。

この植物園がお気に入りだ。
夜桜の来場者は少なく好きなだけ眺め、歩き回り、撮影も出来た。
これがいつまで続くか分からない。もし駐車場が整備されたらどっと人が来るに違いない。
祭りだと思えばそれでいいのかもしれないが
たくさんの人に知られることなく毎年花見が出来たらとわがままを言いたくなる。
日本の花見は酒と騒音のどんちゃん騒ぎと言う文化から逃れられないからだ。
5日と7日の二晩訪れたが、どちらもスタッフとボランティアの方が多いように見えた。
今夜8日がライトアップ最終日、こんなことを書いているから行けそうにないが、さてどうなるだろうか。